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【志村けんとドリフの大爆笑物語!】山田裕貴・勝地涼・遠藤憲一が熱演

2121年12月27日放送のドラマ「志村けんとドリフの大爆笑物語」が放送されました。
前からキャスティングなどの発表があり楽しみにしていましたが、驚くほど内容が良くて素晴らしかったです。

特に、志村けん役の山田裕貴、加藤茶役の勝地涼、そして、いかりや長介役の遠藤憲一さんらは、まるで、志村さんやいかりやさんが生き返ったようで感動しました。

ドラマを見た方は同じ感想だったのではないでしょうか?
ドラマの中の本気のコントも凄かったです。

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ドラマ「志村けんとドリフの大爆笑物語!」

ドリフターズは元々バンドをしていて、ビートルズが来日したときは前座で演奏したのは有名な話です。
その後、コメディアンとして活躍するようになります。

ドラマのあらすじを書いてますが、コントは文では表現できないので見逃した方は是非見てくださいね!

キャスト

志村けん   山田裕貴
加藤 茶   勝地涼
いかりや長介 遠藤憲一
仲本工事   松本岳
高木ブー   加治将樹
荒井注    金田明夫

ドラマのあらすじ

志村の弟子志願

ドリフターズに憧れて、いかりや長介の家に訪ねていくが不在の為、雪の降る中アパートの前でいかりや長介の帰りを待つシーンから始まります。

電話番号だけ聞かれ追い返されるが、しばらくすると、いかりや長介から「すぐ来い!」と電話があり、付き人として雇ってもらえる事になるのだった。

志村が高校卒業前の事でした。

6~7年間の付き人の後にメンバーに抜擢

付き人としてメンバーの世話をする合間にコントのネタを書いて、いかりやに読んでもらおうとするが、なかなか読んで貰えないのだった。

荒井注が休業することになり、志村がメンバーに入るチャンスが訪れる。
(私はデビュー前に志村が舞台を走り抜けるシーンなどがあり、「誰?」と思った記憶がある。)

いかりやは、加藤が志村じゃないとダメだと言ったらしいが、後に志村の才能をかっての事と知ることになる。

芸名をお父さんの名前に

志村は、本名は志村康徳で、早く亡くなったお父さんの名前の憲司の「けん」をお母さんに頼んで芸名として使わせて貰うことにするのだった。

これで、伝説のコメディアン「志村けん」が誕生するわけです。

何故、お父さんの名前を使ったのかはドラマでは説明がなかったのですが、お父さんに対する愛情や感謝のように感じました。

しかし、メンバーになっても、なかなかお客に受けなくて悩むのだった。

舞台の打ち合わせ

「8時だよ全員集合!」は毎週生放送だったので、毎週打ち合わせをして舞台演出や装置作りのスタッフと打ち合わせがあったので凄いパワーがいる事だったと思った。

全盛期はかなりの視聴率番組だったので期待感も大きかったと思う。

そのころ、悩む志村を励ましたのは加藤だった。

志村のコント炸裂する

加藤茶の「ちょっとだけよ」はかなりヒットしたお笑いで当時の小学生から大人まで真似をしていたものです。
志村の住んでいた東村山で歌われていた「東村山音頭」をアレンジして大人気になる。

志村の提案で威張った、いかりや長介がいじめられると皆は面白いと感じるのでは?と提案し、長さんが最後に「だめだこりゃ!」というオチのコントは毎回、大人気になる。

加藤茶と志村けんのひげダンスも大人気でした。

番組も終了してそれぞれの道を

時代も変わり、番組も終了しそれぞれの道で活躍が始まる。

いかりや長介は役者としても活躍。

加藤茶と志村けんとのコンビコントも人気があり、志村はたくさんの番組を持つ事になるのだった。
ドリフターズの特番の番組は何年も放送されて誰もが忘れないコメディアンでした。

*ドラマの中で、本気のコントが炸裂するのでものすごく面白くて見ものです。

いかりや長介の言葉

音楽に関しては二流か四流の集まりで
笑いに関しては素人の集まりでしかなかったドリフだったが
今思えば、志村だけが本格的なコメディアンの才能を
備えていたのかも知れない。

志村けんの言葉

これまでも、そしてこれからも
僕はずっと好きなコントをやっていきたい。
死ぬまで「あいつはバカでどうしようもない」
って、言われ続けたい。

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まとめ

年末にふさわしいドラマで泣いたり笑ったり心を揺さぶられました。
今の40代後半以上は見て育っているので感慨深いものがあったと思います。
時代を駆け抜けた方たちでしたね。
お二人とも役者の才能もあって役者としても評価が高かったのは有名でしたね。
演じられた若い役者の方は今から益々楽しみですね。

今年も僅かです来年の運勢も気になるところです。



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